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ep11 エミル・グレーアム(1)

Author: 根上真気
last update Last Updated: 2025-04-04 07:01:05

エミル・グレーアムは、生まれながらにして魔力を有する特別な人間だった。そんな彼が、この時代の「吸血姫が目覚めた時のための生け贄」に選ばれるのは当然だったと言える。

しかし実際に生け贄に選ばれるまでの、魔力覚醒前夜の幼少期のエミルは、極めて過酷な状況に陥っていた。

エミルの両親は、彼が物心ついた頃には亡くなっていた。街中で暴走した馬車に巻き込まれて死んだのである。

エミルの記憶に残っているのは、迫りくる暴馬と、自分を抱擁したまま生き絶えた両親の生温かい血と、冷たくなっていくぬくもりだけだった。

その後、エミルは唯一の縁者だった叔父のもとに預けられる。

財力のある叔父は、以前にエミルの両親が困った時には経済的援助もしてくれた人だった。

叔父はエミルを喜んで迎え入れた。なぜならエミルは誰よりも美しい少年で、叔父の知られざる欲望を満たすための極上の果実だったから......。

ある日のこと。

叔父から秘密の地下室に呼び出されたエミルは、二つの真実を知った。ひとつは叔父の淫らな本質を。もうひとつは、生前の両親が頑なに叔父を引き合わせてくれなかったのは、息子を守るためだったということを。

「や、やめてよ、叔父さん!」

エミルは抵抗するも、所詮は子どもの力。叔父の大人の腕力から逃れることはできなかった。

「い、いやだ......!」

穢れなき者が穢されるその瞬間だった。エミル自身にも信じられないことが起こる。上からのしかかってきていた叔父が、突如として後ろの壁に勢いよく吹っ飛んでいったのだ。

したたかに壁に後頭部から激突した叔父は、即失神した。

からくも難を逃れたエミルだったが、不幸は重なる。そのまま叔父が亡くなってしまったのだ。

これがエミルにとっての魔法への目覚め。彼の魔法は、殺人から始まったのである。

死体となった叔父を、エミルはガタガタと震えながら見下ろした。幼くして殺人犯となった自分。恐怖が全身を支配する。

「......あああ!!」

エミルは半狂乱となって現場から逃走した。

それからのエミルは、逃亡生活を余儀なくされることになる。闇に紛れながら、拾い物を食べて生き延びた。

寒さに震えた。恐怖に震えた。寂しさに震えた。

無論、そんな生活が長く続けられるわけがなかった。やがて生ゴミのように、エミルは雑踏に倒れ伏した。

「おい!起きろ!」

意識朦朧の少年の耳に、呼びかける声が聞こえた。

差し伸べられた手を、エミルは弱々しく掴んだ。警察の手だった。

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